未顧客を開拓するマーケティング戦略
2026-08-07
「なぜ買うのか」より「なぜ買わないのか」を考える
企業が持続的に成長していくためには、既存顧客との関係を深めることと同時に、新しい顧客との接点をつくり続ける必要があります。既存顧客の満足度を高め、継続的に利用していただくことは経営の土台です。しかし、市場が成熟し、人口が減少していくこれからの日本では、現在の顧客だけを対象にしたマーケティングでは、いずれ成長に限界が訪れます。企業同士が同じ顧客を奪い合うだけではなく、これまで商品やサービスを利用してこなかった人に新しい価値を届けていかなければなりません。
そこで重要になるのが「未顧客」という視点です。未顧客とは、単に自社の商品をまだ購入していない人だけではありません。商品そのものを知らない人、知っていても興味を持っていない人、必要性を感じていない人、過去に利用したものの離れてしまった人など、自社や市場との間に距離がある人たちを広く含みます。企業の成長余地はすでに利用してくれている顧客の中だけではなく、その外側にいる多くの未顧客の中にもあります。だからこそ、これからのマーケティングでは「買ってくれた人はなぜ買ったのか」を分析するだけでなく、「買っていない人はなぜ買わないのか」という問いを持つことが大切になります。
「買う理由」ではなく「買わない理由」に目を向ける
企業は自社の商品やサービスの魅力をよく理解しています。そのため、価格、品質、機能、利便性など、購入する理由をいかに分かりやすく伝えるかを考えます。もちろん、商品の価値を伝えることは重要です。しかし、未顧客が行動しない理由は、商品の魅力を知らないからだけとは限りません。自分には関係のない商品だと思っているのかもしれません。利用方法が難しそうだと感じているのかもしれません。一人では利用しづらい、失敗したくない、周囲の目が気になるといった心理的な障壁があることも考えられます。商品そのものではなく、業界や店舗に対する古いイメージや先入観が行動を止めている場合もあります。
例えば、未顧客が「難しそう」と感じているときに、企業が機能の豊富さを強調すればかえって距離を広げてしまう可能性があります。「自分には関係がない」と感じている人に価格の安さやキャンペーンを伝えても利用する理由にはなりません。企業側から見れば魅力であるものが未顧客から見れば障壁になっていることもあります。だからこそ、未顧客を開拓するうえでは、商品の魅力を増やす発想だけでなく、行動を妨げている壁を取り除く発想が必要です。何を伝えれば買ってもらえるのかを考える前に、なぜ興味を持たないのか、なぜ最初の一歩を踏み出さないのかを理解する。その理由が分かれば、企業が取るべき打ち手も変わってきます。未顧客マーケティングの本質は、売る力を強くすることだけではなく、商品やサービスと生活者の間にある距離を縮めることにあるのだと思います。
Webマーケティングが高度になるほど生まれる「壁」
未顧客との接点を考えるとき、現在のマーケティングにおいて欠かせないのがWebです。検索広告やSNS広告、動画広告などを活用すれば、利用者の検索履歴や閲覧履歴、興味関心に合わせて情報を届けることができます。過去に自社サイトを訪れた人へ再び広告を表示したり、既存顧客と似た特徴を持つ人へ広告を配信したりすることもできます。こうしたWebマーケティングは、すでに商品に関心を持っている人や、購入を検討している人を動かすことに優れています。限られた広告予算を効率よく使い、見込みの高い相手へ情報を届けられることは企業にとって大きなメリットです。
一方で、この「興味のある人に、興味のある情報を届ける」という仕組みは、未顧客の開拓という視点では一つの壁にもなります。SNSや動画プラットフォームは利用者が過去に見た投稿や、反応した動画、検索した内容を学習し、その人が好みそうな情報を優先して表示します。利用者にとっては、自分の関心に合った情報が次々に届く便利な仕組みですが、その精度が高まるほど異なる価値観や未知の商品と出会う機会は少なくなっていきます。同じような意見や情報が閉じた空間の中で繰り返し反響し、それ以外の情報が入りにくくなる状態を「エコーチェンバー」と呼びます。エコーチェンバーは政治や社会問題について語られることが多い言葉ですが、マーケティングにも同じような現象が起きています。
ある商品に興味を持つ人には、その商品の広告や関連情報が何度も表示されます。ある業界の動画を視聴する人には、似た内容の動画が次々に推薦されます。その結果、企業の発信は既存顧客やファン、業界に関心を持つ人には届きやすくなる一方、まったく興味を持っていない人の画面にはほとんど現れなくなります。企業側もまた、エコーチェンバーの中に入り込む可能性があります。SNSで多くの反応が集まり、広告の表示回数が増え、Webサイトへのアクセスも伸びていると情報が広く届いているように感じます。しかし、その反応をしているのが以前から自社や業界に関心を持っている人たちに偏っているとすれば、市場そのものが広がっているとは限りません。顧客の声を聞き、その顧客に似た人へ広告を届け、そこから得られた反応をもとにさらに同じ層へ施策を強めていく。Webマーケティングの精度を高めるほど同じ関心層の中で情報が循環し、企業と未顧客との距離が広がってしまうことがあります。
つまり、未顧客の重要性を理解していても、これまでと同じWeb戦略を続けるだけではその人たちに出会うこと自体が難しいのです。Webマーケティングの価値が下がったわけではありません。既存顧客や見込み顧客との関係を深め、購入を後押しするうえでは今後も重要な役割を担います。ただし、エコーチェンバーの外側にいる未顧客へ情報を届けるためには、広告の精度とは異なるアプローチが必要になります。そこで改めて重要になるのが「紹介」と「口コミ」です。
紹介は、エコーチェンバーの外へ情報を運ぶ
企業が発信する広告は、基本的に商品を売る側からのメッセージです。どれほど丁寧に魅力を伝えても、受け手はある程度の警戒心を持って情報に接します。特に、その商品に関心を持っていない未顧客にとって企業の説明は自分とは少し離れた世界の話に聞こえます。しかし、家族や友人、同僚など、身近な人から「使ってみたら良かった」「今度一緒に行ってみないか」と勧められたとき、情報の受け取り方は変わります。紹介する人と紹介される人の間には、すでに信頼関係があります。商品に対する知識がなくても「あの人が良いと言うなら、少し試してみよう」と思えることがあります。一人では入りづらい場所でも、誰かと一緒であれば、最初の一歩を踏み出せるかもしれません。紹介の強さは、商品の情報を詳しく伝えられることだけにあるのではありません。企業と未顧客の間にある心理的な距離を人と人との信頼によって縮められることにあります。
そして、人間関係はWeb上の興味関心だけでつながっているわけではありません。親子や夫婦であっても趣味や価値観は異なります。友人や同僚も、同じ商品カテゴリーに関心を持っているとは限りません。そのため、既存顧客が家族や友人へ商品を紹介することで企業の情報はWeb上のアルゴリズムでは到達しにくかった人のところまで運ばれていきます。Web広告が興味関心の近い人へ効率よく届く手段だとすれば、紹介や口コミは異なる関心を持つ人との間に橋を架ける手段です。企業の情報をエコーチェンバーの内側で何度も反響させるのではなく、その外側へ届ける。その役割を果たせるのが既存顧客の体験と言葉なのだと思います。
「紹介したくなる」を仕組み化する
紹介や口コミは自然に発生するものと思われがちです。良い商品をつくり、顧客に満足してもらえれば誰かに伝えてくれる。その考え方自体は間違いではありませんが、自然発生だけに任せていては継続的な未顧客開拓にはつながりません。企業が考えるべきなのは、顧客に紹介をお願いすることではなく、顧客が思わず紹介したくなる体験をつくることです。期待を上回るサービスを受けたとき、誰かに教えたくなる発見があったとき、自分の大切な人にも役立つと思ったとき、人は自然にその体験を共有したくなります。商品やサービスの機能だけではなく、企業の思想や物語に共感し、その価値観を誰かと分かち合いたいと感じることもあります。その感情が紹介の出発点です。
ただし、「紹介したい」と思っても、方法が分かりにくかったり、手続きが面倒だったりすれば実際の行動にはつながりません。また、紹介された側がどのように利用すればよいのか分からず、不安を感じる状態であれば、せっかくの紹介もそこで止まってしまいます。だからこそ、顧客体験、紹介の方法、未顧客の入口を一つの流れとして設計する必要があります。顧客が誰かに伝えたくなる体験をつくり、その場ですぐに共有できる仕組みを用意し、紹介された人が安心して利用を始められる環境を整える。この流れがつながったとき、既存顧客の満足が次の顧客を生み出す力へ変わります。
Dropboxは、紹介を商品価値の向上につなげた
紹介の仕組みが上手い事例として知られているのが、クラウドストレージサービスのDropboxです。Dropboxでは、利用者が友人を紹介すると紹介した側と紹介された側の双方に追加の保存容量が与えられます。この仕組みの優れているところは、紹介の特典が商品とは関係のない景品ではなく、サービスそのものの価値を高めるものになっている点です。既存顧客は、友人を紹介することで保存できる容量が増え、Dropboxをさらに便利に利用できるようになります。紹介された人も最初から追加容量を持った状態でサービスを使い始められます。つまり、紹介によって新規顧客が増えるだけではなく、既存顧客の利用価値も高まり、サービスとの関係が深まっていきます。紹介制度を単なる集客施策として切り離すのではなく、商品の利用体験の中に組み込む。紹介することが商品をより便利に使うことにつながる。この設計は紹介制度を考えるうえで非常に参考になります。
メルカリは、紹介する人とされる人の関係を設計した
メルカリの招待制度では、紹介コードを使って新規登録すると紹介した人だけでなく、紹介された人にもメリットが用意されています。紹介制度では、紹介者の報酬ばかりに目が向きがちです。しかし、紹介された側にメリットがなければ「相手の利益のために勧められたのではないか」と感じさせる可能性があります。紹介する人と紹介される人の双方に価値があることで、紹介者は相手に勧めやすくなり、紹介された人も抵抗なく受け入れやすくなります。この事例から学べるのは、紹介制度は既存顧客を動かす仕組みであると同時に未顧客の不安を減らし、利用を始める理由をつくる仕組みでもあるということです。紹介者に何を提供するかだけではなく、紹介された人がどのように感じるのか。その関係性まで設計することで、紹介は企業の都合による販促ではなく、人から人へ自然に価値を渡す行動になります。
「みてね」は、利用体験そのものに紹介を組み込んだ
家族アルバムサービスの「みてね」は、紹介制度を後から付け加えたというより、誰かを招待することがサービスの利用体験そのものになっています。親が子どもの写真や動画を共有するために祖父母や家族をアルバムへ招待する。招待された家族は、子どもの成長を見るためにサービスを使い始めます。そこには、ポイントや割引がなくても紹介したくなる強い理由があります。自分だけで写真を見るのではなく、家族と喜びを分かち合いたい。離れて暮らす祖父母にも子どもの成長を見てもらいたい。その自然な気持ちと、サービスの利用が一致しています。誰かを招待することで利用者自身が感じる価値も高まり、招待された人にも新しい価値が生まれる。紹介が販促活動ではなく、サービスを完成させる行動として組み込まれているのです。最も強い紹介の仕組みは紹介特典が大きいことではなく、誰かと一緒に利用することで商品やサービスの価値が高まる構造なのかもしれません。
顧客の先にいる未顧客を見る
これまでのマーケティングは、顧客を深く理解しその顧客と似た特徴を持つ人へ情報を届けることで発展してきました。この方法は、今後も企業にとって重要であり続けるでしょう。一方で、市場を広げるためには、現在の顧客に似た人だけではなく、自社に関心を持っていない人にも目を向ける必要があります。Webマーケティングの精度が高まるほど、興味の近い人には情報が届きやすくなります。しかし、その反対側では興味を持っていない人との偶然の出会いが生まれにくくなっています。だからこそ、これからの企業にはWeb上で同じ人たちに繰り返し情報を届けることに加えて、その情報をエコーチェンバーの外へ運ぶ仕組みが求められます。その起点となるのが、既存顧客です。
既存顧客が自らの体験を家族や友人へ伝え、その信頼を通じて未顧客が最初の一歩を踏み出す。新しく利用した人が満足し、今度は別の誰かへ紹介していく。この循環を生み出せればマーケティングは企業から生活者への一方的な情報発信ではなく、顧客とともに市場を広げる活動へ変わります。「なぜ買ってくれたのか」を知ることは、顧客との関係を深めるために必要です。そして、「なぜ買わないのか」を知ることは、まだ出会っていない顧客との関係を始めるために必要です。売る理由を増やすだけではなく、買わない理由を減らす。広告の声を大きくするだけではなく、顧客が誰かに伝えたくなる体験をつくる。既存顧客の満足を、紹介と口コミによって未顧客へつないでいくことにこれからの市場を広げるマーケティング戦略の可能性があるのだと思います。HIRONORI KAJIKAWA



