アメリカ東海岸視察報告(後編)「熱狂が経済を生む、体験経済の最前線」
2026-07-31
アメリカが進化させた「体験を経済に変える力」
今回のアメリカ東海岸視察では、小売流通に加え、スポーツやミュージカル、ライブ音楽など、アメリカを代表するエンターテインメントに触れる機会がありました。その中で、私が特に注目したのが、アメリカにおける体験型エンターテインメントの進化です。スポーツ観戦、カジノ、テーマパーク、ライブ音楽、映画、ブロードウェイ、eスポーツ。どの分野にも共通しているのは、単に「観る」「聴く」「遊ぶ」だけで終わらせず、観客をその世界へ引き込み、感情を動かし、忘れられない時間をつくり出していることです。
AIや動画配信サービスの普及によって、情報やコンテンツはいつでもどこでも手に入るようになりました。だからこそ人は、その場所へ行かなければ味わえない体験や、同じ空間にいる人たちと共有する熱狂に、より大きな価値を感じるようになっています。アメリカは、その体験価値を徹底的に磨き上げ、人を集め、滞在時間を延ばし、飲食、宿泊、小売、広告、放映、配信などへ消費を広げています。つまり、体験経済とは、単に楽しい時間を提供することではありません。人の感情が動く体験を起点に、さまざまな産業へ経済価値を波及させる仕組みなのです。今回は、アメリカを代表する体験型エンターテインメントを市場規模の大きな順に紹介します。なお、市場規模は調査によって対象範囲や算出方法が異なるため、各分野の大きさを把握するための概算として記載しています。

1.スポーツ
試合を世界中が熱狂する巨大なショーへ
米国市場規模:約1,637億ドル(2025年・スポーツイベント市場)
今回、ヤンキースタジアムでドジャース対ヤンキースの試合を観戦しました。大谷翔平選手が打席に立つたびに、約5万人の観客が一斉に立ち上がり、球場全体の空気が大きく変わります。歓声、音楽、大型ビジョンによる演出、観客同士の一体感。そのすべてが組み合わさり、試合そのものを超えた熱狂が生まれていました。印象的だったのは、その熱狂がスタジアムの中だけで完結していなかったことです。試合の前後にはグッズショップに人が集まり、周辺の飲食店も多くのファンでにぎわいます。遠方から訪れた人はホテルに宿泊し、観光や買い物も楽しむ。数時間のスポーツ観戦が、街全体に消費を生み出しているのです。
そして、今回の2026年FIFAワールドカップも、アメリカらしい体験型エンターテインメントの進化を強く感じさせる大会でした。アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国で開催された今大会は、出場国が48カ国に拡大され、北米各地を巻き込む大規模なイベントとなりました。スタジアム周辺のファンイベントや音楽、観光、飲食まで含め、開催都市全体がワールドカップの熱狂に包まれました。象徴的だったのが、ニュージャージー州のメットライフ・スタジアムで開催された決勝です。ワールドカップ決勝では史上初となるハーフタイムショーが行われ、マドンナ、シャキーラ、BTS、ジャスティン・ビーバーという、世代も国籍も異なる世界的アーティストが出演しました。サッカーと音楽、映像、舞台演出を融合させた、世界規模のエンターテインメントとなりました。
これまで、世界的なスポーツイベントと音楽ライブの融合といえば、NFLスーパーボウルのハーフタイムショーが象徴的な存在でした。その発想をワールドカップにも取り入れ、世界最高峰のサッカーの試合を、さらに大きな体験へと拡張したところに、アメリカらしさを感じます。もちろん、主役はサッカーです。しかし、試合の前後やハーフタイムまで含め、観客が一日を通して楽しめる体験にする。スポーツファンだけでなく、音楽やカルチャーに関心を持つ人まで巻き込み、世界中の視線を集める。今回のワールドカップの熱狂は、本当にすごかった。スポーツを競技で終わらせず、世界規模のショーへと進化させる。そこに、アメリカの体験経済を象徴する発想が表れていたと思います。



2.カジノ・スポーツベッティング
遊技ではなく、滞在時間を設計する
米国市場規模:約787億ドル(2025年・商業ゲーミング収益)
アメリカの体験経済を語る上で、カジノ産業も欠かすことのできない存在です。ラスベガスを訪れると感じるのは、カジノが単独で存在しているのではなく、ホテル、レストラン、ショッピング、ライブ、スポーツ、大型イベントなどが一体となり、街全体が巨大なエンターテインメント施設として設計されていることです。現在のラスベガスは、単なるギャンブルの街ではありません。世界的アーティストによる公演、F1ラスベガスGP、NFLの試合、Sphereのような最新施設など、カジノ以外にも訪れる目的を次々と生み出しています。
重要なのは、一つの商品やサービスだけで利益を上げるのではなく、複数の体験を組み合わせることによって、滞在時間と消費機会を増やしていることです。カジノを訪れた人がライブを鑑賞し、レストランで食事をし、ホテルに宿泊する。翌日にはショッピングやスポーツ観戦を楽しむ。人が長く滞在したくなる理由を、街全体でつくっている。ラスベガスが提供しているのは、個別の娯楽ではなく、何日間にもわたる体験の連続です。これは、商業施設や観光地だけでなく、あらゆるリアルビジネスに応用できる考え方だと思います。


3.テーマパーク
アトラクションではなく、世界観を提供する
米国市場規模:約250億ドル
ディズニーやユニバーサルに代表されるアメリカのテーマパークも体験経済を象徴する存在です。利用者が購入しているのは、アトラクションに乗る権利だけではありません。映画やアニメ、ゲームで見てきた物語の世界へ入り込み、その登場人物と出会い、その場所で食事をし、関連する商品を購入する。作品の世界観を、現実の空間で一日かけて体験しています。アトラクション、建物、音楽、照明、スタッフの接客、レストランのメニュー、販売される商品に至るまで、一貫した世界観がつくられています。利用者は施設を回っているのではなく、物語の中を移動しているのです。
さらに、その体験はテーマパークの中だけにとどまりません。ホテル、クルーズ、レストラン、グッズ、映像配信、ゲームなどへと広がり、一つの物語が複数の事業を横断する経済圏を形成しています。世界のテーマパーク市場も成長が続いており、2026年は約607億ドル規模と推計されています。アメリカ企業は、IPを単に作品として販売するのではなく、人が参加できる世界として育てているのです。商品を一度購入してもらうのではなく、その世界を好きになってもらい、何度も訪れてもらう。ここにも、アメリカの体験設計の強さがあります。
4.ライブ音楽
Sphereが変えた「ライブを全身で体験する」という発想
米国市場規模:約185億ドル(2025年)
アメリカにおける体験型エンターテインメントの進化を象徴する施設が、ラスベガスのSphere(スフィア)です。今回はラスベガスを訪れていませんが、現在のアメリカのライブエンターテインメントを考える上で、Sphereは欠かすことのできない存在です。Sphereの内部には、観客を包み込む16K×16Kの高精細LEDスクリーンが設置され、映像が観客の正面だけでなく、頭上や周囲にまで広がります。さらに、座席の振動、風、香りなどを組み合わせた多感覚演出も導入されています。観客はステージを一方向から眺めるのではなく、映像と音に囲まれ、空間そのものの中へ入り込んでいきます。ライブを「聴く」「観る」ものから、全身で浴びる体験へと変えたのです。Sphereでは、U2をはじめとする世界的アーティストの公演に加え、施設の特性を生かしたオリジナルの没入型作品も展開されています。つまり、人気アーティストを呼ぶためだけの会場ではなく、施設そのものが目的地となり、そこでしか体験できないコンテンツによって人を集めるビジネスモデルです。
一方、今回のニューヨーク滞在では、老舗ジャズクラブのBlue Noteを訪れました。演奏者との距離が近く、息遣いや楽器の音が直接伝わってくる。会場全体が一つになって音楽を共有する時間には、配信では得られないリアルならではの価値がありました。Blue NoteとSphereでは、施設の規模も演出方法も大きく異なります。しかし、共通しているのは、その場でしか味わえない時間を提供していることです。伝統あるジャズクラブも、最先端技術を集めた巨大施設も、売っているものは音楽そのものだけではありません。演奏者と観客が同じ空間を共有し、感情が動く瞬間を提供しています。テクノロジーが進化するほど、リアルな体験の価値は失われるのではなく、むしろ高まっていく。Sphereは、その可能性を世界に示した施設だと思います。


5.映画館
自宅では再現できない価値をつくる
北米市場規模:約89億ドル(2025年・映画興行収入)
動画配信サービスが普及し、映画やドラマを自宅で楽しむことが当たり前になりました。作品を見るという機能だけで考えれば、映画館へ行く必要性は以前より低下しています。だからこそ、アメリカの映画館では、IMAXやDolby Cinemaをはじめとする大型スクリーンや立体音響、動く座席などを導入し、自宅では再現できない体験を提供しようとしています。映画館は、映像を上映する場所から、作品の世界を身体で感じる場所へと変わりつつあります。これは、映画館だけの話ではありません。オンラインで代替できる時代にリアルな店舗や施設が選ばれるためには、利便性とは異なる価値が必要です。そこへ行く理由があるか。誰かに話したくなる体験があるか。もう一度訪れたいと思えるか。体験型エンターテインメントの進化は、すべてのリアルビジネスに対する問いでもあると感じます。
6.ブロードウェイ
劇場全体を物語の世界に変える
市場規模:約19億ドル(2025~2026年シーズン興行収入)
ニューヨーク滞在の最後には、ミュージカル『CATS』を鑑賞しました。『CATS』で印象的だったのは、舞台上だけで物語が進むのではなく、キャストが客席へ入り込み、劇場全体を作品の世界へ変えていく演出です。観客は座席から舞台を眺めているだけではありません。いつの間にか、自分も物語の中へ入り込んだような感覚になります。歌、ダンス、衣装、照明、音響、舞台美術。そして、キャストと観客の距離感。それぞれの要素が組み合わさることで、劇場全体に没入感と熱狂が生まれていました。ブロードウェイの強さは、作品の完成度だけではありません。観劇の前にはレストランで食事をし、終演後にはタイムズスクエアを歩き、ホテルに戻る。劇場を中心に、飲食、宿泊、観光、小売、交通など、さまざまな消費が生まれます。一つの舞台作品が人を街へ呼び込み、ニューヨークで過ごす時間そのものを価値ある体験へと変えているのです。作品を観てもらうのではなく、作品の世界で過ごしてもらう。ブロードウェイには、文化や物語を都市の経済へつなげる仕組みがありました。



7.eスポーツ
デジタルの熱狂を、リアルな体験へ変える
米国市場規模:約5.4億ドル(2025年)
eスポーツはデジタル上で生まれた文化ですが、現在ではリアルな会場に観客を集める大規模な興行へと進化しています。観客はプロ選手のプレーを観戦し、会場で歓声を上げ、オンライン配信を通じて世界中のファンと同じ瞬間を共有します。特徴的なのは、リアルな会場とデジタル配信のどちらかを選ぶのではなく、両者を組み合わせていることです。会場の熱狂が配信によって世界へ広がり、配信を見た人が次の大会では現地へ足を運ぶ。リアルとデジタルが相互に価値を高める循環が生まれています。アメリカの体験経済は、リアルだけを重視しているわけではありません。デジタルを使って体験を拡張し、参加できる人を増やし、その熱狂を次の消費へつなげています。現在の市場規模は他のエンターテインメント分野と比べてまだ小さいものの、メディア権、広告、スポンサー、チケット、グッズなど収益源が広がっており、次世代の体験型エンターテインメントとして大きな可能性を持っています。

体験経済がアメリカ経済を強くする
今回の視察で強く感じたのは、アメリカは単に「エンターテインメントが盛んな国」なのではないということです。人の心が動く瞬間をつくり、その熱狂を経済価値へ変える仕組みが非常に高度に設計されています。スポーツ、カジノ、テーマパーク、ライブ音楽、映画、ブロードウェイ、eスポーツ。それぞれは独立した産業に見えますが、実際には観光、ホテル、飲食、小売、交通、不動産、広告、メディア、放映権、配信サービス、ライセンス、グッズなどと密接につながっています。
ヤンキースの試合を観るために人がニューヨークを訪れ、ホテルに泊まり、食事をし、グッズを購入する。ブロードウェイを観るために人が街を歩き、タイムズスクエアや周辺の店舗にも立ち寄る。ラスベガスでは、カジノだけでなく、ライブやスポーツイベントが滞在日数を延ばし、街全体に消費を生み出す。さらに、現地で生まれた熱狂は、テレビや動画配信、SNSを通じて世界へ広がります。そこで新たなファンが生まれ、次の観光、チケット、商品購入へとつながっていきます。
つまり、アメリカの強さは、単に大規模なイベントを開催できることではありません。一度生まれた熱狂を、複数の産業と世界中の市場へ広げる力にあります。前編で取り上げた小売流通と、今回取り上げたエンターテインメント。一見すると異なる分野ですが、両者には共通点がありました。それは、商品やサービスそのものだけではなく、顧客がそこで過ごす時間や、そこで得られる感情まで設計していることです。売っているのは、モノではなく体験。生み出しているのは、消費ではなく熱狂。
アメリカは、人を楽しませることを一つの産業として捉え、その体験を街や企業、メディアを横断する巨大な経済へと育てています。今回、アメリカにおける体験型エンターテインメントの進化に触れ、「どのような商品を提供するか」だけでなく「どのような体験を通じて、人の心を動かすか」を考えることが、これからの経営においてますます重要になると感じました。私たちも、日本文化を未来につなぐというパーパスの実現に向けて、商品やサービスの先にある体験価値を磨き続けていきたいと思います。HIRONORI KAJIKAWA




