江戸前風情舟遊び『屋形船納涼会』
2024-07-19
屋形船の歴史
宮人の舟遊び
屋形船のルーツをたどると、その原型は平安時代に見出すことが出来るそうです。古くは万葉集にも詠まれていたというのが「宮人の舟遊び」。これが平安時代には、川や池泉に竜頭鷁首の(龍頭や水鳥などが船首にしつらえられた)船を浮かべ遊覧を楽んだという記録が残されています。桜や紅葉を愛でたり、漢詩や和歌を詠んだり、楽器を奏でたり等々。船の上は、貴人たちが日ごろの素養を披露しつつ、典雅に過ごす場であったようです。
粋で風流な江戸の屋形船
江戸時代に入り泰平が訪れると、豪商や有力大名などが自前の船で盛んに遊覧をするようになります。船も大型化し、競うように造りも豪華になっていきました。明暦の大火(1657)後に一旦は鎮静化しますが、江戸の街が立ち直るとともに以前にも増した盛り上がりを見せ、その造りは絢爛豪華、金銀漆などで装飾をするなど、贅をつくしたものになっていきます。 この時期、屋形船は武家のみが使用でき、一般庶民は乗船できませんでした。そこで粋な江戸っ子は「屋根船」と称する小船を浮べ遊覧を楽しみ始めました。屋根船は舟の上に小さな部屋が一つ乗っているような形で、障子(しょうじ)を用いず簾(すだれ)を使い、棹(さお)は使わず櫓(ろ)で舟を操ったそうです。やがて質素な「屋形船」が新造されたこともあり、大名などが所有する豪華船から、船宿や料理屋が所有し一般庶民も粋で風流な遊びとして楽しめる、現代に通ずる屋形船のスタイルへと継承されていきます。
明治~現代の屋形船
江戸時代が終わり、維新後も明治・大正・昭和初期に至るまで人々に楽しまれてきた屋形船ですが、太平洋戦争によって衰退してしまいます。さらに戦後復興から高度経済成長期に入ると、今度は水質汚染や殺風景な河川護岸工事がなされた影響から、一時はほとんどの屋形船が鳴りを潜めてしまいました。その屋形船が息を吹き返し始めたのは、1980年代のバブルの頃から。「豪華な遊び」として注目されたことに加え、河川環境が改善されてきたことなどが重なり、やがてエアコン・水洗トイレ・カラオケ完備の現代型の屋形船が続々と登場するようになりました。(屋形船東京都協同組合HPより引用)
屋形船納涼会
さてさて、屋形船の歴史を学んだところで、次は私たちが参加した屋形船納涼会の様子をご覧頂きたいと思います。私たちが乗った屋形船はこちら。
当日は雨が降っていたのもあって蒸し暑かったのですが、屋形船の中はエアコン完備でとても涼しく快適でした
料理も豪華です。刺身、天ぷら、蟹、あさりご飯などなど、江戸らしい料理がずらりと並びました
良い感じで酔いもまわってきたところで、みんなで写真を一枚。このあたりから雨が上がって景色も良くなってきました
芸者さんがいろいろ気を使ってくれて一段と楽しめました。芸者さんは必ず「千社札」という名刺代わりの札を持っています
華麗な演舞が始まりました
綺麗な芸者さんですね。近くでお話ししてみたいなーと思いながら、思わず見とれてしまいました
っておい!何で隣に座ってもらってるんだよ笑
一緒にゲームまでやって楽しそうですねえー
ご満足したようで、満面の笑みです
呆れて泣く駒ちゃん笑
気を取り直して、屋上に出てみました
隅田川の上から見るスカイツリーはいつもより綺麗に見えます
提灯と橋の照明のコントラストがきれいですね
宴の最後は、芸者さんたちと記念撮影
駒ちゃんも
そして私も
夜になると屋形船はこんなに綺麗です
最後に3人で記念撮影して、屋形船納涼会は終了です
向島芸者が踊りや演奏、唄で興を添え、浅草幇間が酒宴を盛り上げてくれた屋形船納涼会。日本文化に触れるとても良い時間となりました。銀座もとじの皆さん、ありがとうございました。HIRONORI KAJIKAWA